Kaguyatom

(Explicit)

コーヒーは苦いだけではない

 

 「もうバレンタインだもんね」

別にバレンタインとか一切意識せずに持っていったドン・キホーテの袋入りのチョコアソートと飴のキュキュ、パインアメ、そしてヴェルオリ(ヴェルタース・オリジナル)を見て、バイト中、ふと同僚が言いました。バレンタインというものに特に思い入れがなく、そんなものがあったのはなぜか男女で交換しようという雰囲気になってしまっていた小学生の頃だけでした。得意料理に「クッキー」が追加されただけで、甘い雰囲気になることはありませんでした。甘すぎるクッキーは美味しくないので。

 

 バレンタインは甘いものではなく苦いもの、という意識がはっきりとしたのは、高校の時でした。当時から僕は「モテ」からは程遠い存在で、バレンタインはもはやないものと思い、もらえるわけないよな~とか口では言いながらなんとなくソワソワしていた中学時代とは打って変わって、「無」とはこのことか、というところに達していました。おれには男友達とくだらない話をするのが合っている。

 ちょうどバレンタインの2週間前、ある女の子から「好きな人がいる」と言われていました。中学からの仲なのに、好きな人が誰かは教えてくれない。ただの相談、だけどもしかしたらもしかする。そんな甘い考えが僕を支配してしまっていて、相談に乗るフリをしながらジャブを打ち続けるというやり取りをしていました。彼女もまんざらではない。これはもしかするぞ。しかし、まだまだ中学生の時のソワソワが抜けきっていなかった僕は、そんな彼女が好きな人は同じバスケ部のメンバーだということを、2週間後に知ることになります。

 相談を受けながら迎えたバレンタイン当日、何事もなく、帰ろうと思った矢先、その彼女から話しかけられます。

「ねぇ、チョコ欲しい?」

チャラい男を演じたい僕は「えっ、くれるの?(笑)」とテンション高めに言うことで、内心「これ告白では」と思っていた自分を隠しました。貰ったチョコを食べようか食べまいか迷っていると、彼女が「I'm どうしたらいいの」とわけわからない言語を使って僕に相談を持ち掛けてきました。当時から英語が得意だったとはいえ、まだ留学前で今と比べると天と地ほど差がある当時の僕は、「文法おかしいぞ」という言葉を、チョコレートと一緒に飲み込みました。今思えば、「どうしたらいいの(状態、もしくはその状態の人)」という意味になり、英語的にも正しい表現になります。日本語ではどうかわかりませんが、まず日本語であるかどうかが定かではない以上、どう訂正したらいいのか、そもそも訂正するのか、わからないことだらけです。日本語も英語も、女心もわからない。

 話を聞いているうちにますます自分のことに聞こえる恋に狂った男は、勝負に出ます。渾身のストレートです。

「だれのこと言ってんの?(笑)」

見る見るうちに顔が赤くなる彼女を見て、ホワイトデーにクッキーを作ろうと決意した僕に、彼女は告げました。

「○○(バスケ部同期の名前)くん……///」

「いやおれちゃうんかい!」と言うだけのメンタルも笑いも持ち合わせていないのに、一部の人間に嫌われていながらもこちらからは嫌うことはしたくなかったという経験から、感情を隠すのだけはうまくなっていた僕は、「あ~~そっちか~~」とあたかも何人か候補はいたけど第一候補ではなかった、という顔をして笑いました。コーヒービーンズチョコのようにあとから苦みが来るタイプのチョコレートです。今僕がコーヒー大好きなのは、苦みか、わずかに感じられる甘味か、酸味か。

 

 チョコレートの甘みを感じた後、コーヒー豆の苦みを味わい、口の中から消えてしまうコーヒービーンズチョコのように、甘いも苦いも一瞬で、すぐに消えてしまった僕の青春。今思い出しても、恥ずかしくて苦い思い出です。

 

 

 コーヒーには、フルーツのような味わいの浅煎りから、深い苦みとコクのある深煎りなど、さまざまな種類があります。コーヒー豆によっても酸味が特徴だったり、甘みが特徴だったり、様々です。が、甘酸っぱい青春に合うのはいつだって深煎りの、苦みとコクです。僕が中煎りのコーヒーと和菓子の組み合わせが好きなままなのは、自分のせいだってわかっているけど、どうすることもできない悲しみ。そろそろ出会い系に課金するくらいの、深い悲しみ。今の自分に深煎りは苦すぎる。

 

 来る2月14日は、大学生として迎える三回目のバレンタインデーです。今年こそ、コーヒーのアテになるような甘いチョコレートを貰いたい。

 

 おわり

 

 

 今週のお題「バレンタインデー」