Kaguyatom

(Explicit)

哲学

 

 お久しぶりです。Kaguyatomです。お久しぶりです

 

 2020年はいろいろな人にとってターニングポイントになった年かと思います。コロナウィルスの流行で満足に職場・学校に通えていなかったり、もしくは経営に困ったりといったことが往々にして起こっていると思います。僕にとってもそれは同じで、音楽活動に集中するため、お世話になっていた職場を離れ、地元である群馬県前橋市へと拠点を移しました。仕事を失ったことで、僕の収入は今や継続している予備校のアルバイト以外には、雀の涙ほどの音楽活動からの収入に留まっています。しかし、活動を続けていたおかげで、今では地元のカフェ・バーでビートライブを行うことができていますし、同じように音楽活動をしている友人とも知り合うことができました。そういう意味では、今年は良くも悪くもとても大きなターニングポイントであったと思います

 

 ただ、それは世間話です。個人的な変化としては精神的な面の方が何倍も大きいと感じています

 

 今年の3月に地元に帰省してきたわけですが、それには家賃を払えるかわからない、仕事を続けられるかわからない、場合によってはアルバイトと並行しなくてはいけないかもしれない、それに加えて音楽もバスケットボールも、留年した大学にも通わなくてはいけない、など様々な要因があったことは事実です。しかしこの決断をするに至った一番の理由は、自身の意識改革にあります。職場の上司に「お前は全部中途半端。音楽もバスケも仕事も、やっているようでやっていない。そろそろ自分の意志で、やりこむ決断をした方がいい」と言われ、それまで全部中途半端に、言われるままにやってきた仕事と音楽とバスケットボールと、自分の状況を考えたときに、改めて自分の主体性のなさに気付かされた、というわけです。ここまで言われて初めて、「自分が本当にやりたいことは何か」を深く考えるに至ったのです。1か月ほど、考えられる利益や周囲の目など、徹底的に他の要因(ここにおいては、雑念)を排除して、自分と対話し続ける日々が続きました。これは思っていたよりも大変な作業で、闘いであって、メンタルへの影響も多大にありましたが、ある種瞑想のようなもので、1歩進むごとにすっきりするような、そんな作業でもありました

 

 アルバイトの話をします。大学3年から、受験の際お世話になった予備校にて学生チューターとしてアルバイトを始め、かれこれ4年目になりました。1年のうち大体8~9か月は英語を教えていますが、毎年7月頃から主にAO推薦試験に臨む高校3年生の生徒の対策をお手伝いするのが通例となっていました。毎年毎年、受ける大学とその学部・学科によって志望理由が変わる(これも、当然のことですが)生徒を10人20人と面接対策を行って、そのたびに生徒に聞いていた、言っていたことがあります。「それは本当にやりたいことなの?本音で言ってるの?」です。高校生というのは多感な時期ですし、少しずつ社会やヒトを知っていく中で、自分の意志だけで予備校に通うと決め、志望校を決め、将来やりたいことのビジョンもある、という人の方が少ない、というのが現実であることも、わかっています。場合によっては、それまで行ってきた準備やライフ・プランニングに水を差す(もしくは破壊する)結果にもなりかねないことです。アルバイトの分際で言うべきことではないでしょう。でも、なんとなく親や学校、ひいては予備校の意志に従って、自分を殺してほしくない、そして、主体性を持つということに価値を見出だしてほしい、そうすることで、社会においてもより重要な役割を果たせるかもしれないし、人としての魅力も増すかもしれない、という自分なりの信念に則って指導していたわけで。自己との対話は、どんな人であっても必要なことだと思っているからです。自己との対話の末に主体性が生まれ、そして自己批判や知性に繋がるものです。これは、自分が鬱っぽくなっていた大学3年時に学んだことでした

 

 マイケル・ジャクソンは『マン・イン・ザ・ミラー』で、ジェイ・コールは『チェンジ』で言っていたことですが、「社会を変えたければ自分を変える」必要があります。自分を変えるためには、自己批判の精神と、批判をするだけの知性とが必要なのだと思います。こういう学びがあるところが、おれがヒップホップを聴く理由

 

 自己との対話は、いわゆる自由思考と同じで、時間と余裕があるときにしかできません。何かに追われていたり、別の作業をしているときにはできないことです。何かの本で読んだことですが、知識と思考は対極にあり、知識は日常で役に立ちますが、何か未曽有の事態に直面したときには思考が必要です。その本には、「世界を救うのは常に志向の結果であった」的なことが書いてあったと記憶しています。このことからも、思考することの重要性がわかるかと思います

 

 と、ここまでで僕の中に矛盾があることに気が付いたと思います。主体性を持つことと、自由思考が人生において重要であるにもかかわらず、3月までの自分はそれをすっかり忘れて、自分がやりたいこともわからなくなっていたということになります。自分が指導するときは偉そうに「なにをやりたいの?」と聞いていたにもかかわらず、です。同時に、この原因がどこにあったかも、理解できます。昨年、仕事とバスケと音楽と学校とバイトと、あらゆるものに忙殺され、毎日3~4時間だけ寝て、それ以外は何かしらやっていたので、自己との対話を怠ったこと、そして、やるべきこと(人に言われたこと)をこなすことに集中していて、結果として、時間のマネージメントもできず、どれも中途半端に終わってしまい、思考することを放棄していたからです。わかっていたことを再確認するのに1年かけてしまったことには後悔しかありませんが、必要な時間だった、と割り切るしかないでしょう

 

 こうしてこのブログを書いているのも思考の一端で、ある程度考えがまとまったからこそこうしてアウトプットできているわけで。今は仕事もバスケも辞め時間と余裕しかないので、好きな時に音楽をやって、たまに働いて、という生活をしていますが、できればこの生活を一生続けていきたい。今は、自信をもってやりたいことをやれていると言えるし。しかしそういうわけにもいかないのが、社会に出るということだし、できればこのプロセスは、速めに終わらせておきたいところです

 

 

 しかし、日本の教育制度自体が「主体性を持たせない」ためにあるようなものなので、実はおれは教育関係に進むべきだったのかもしれない

 

おわり